小学校の頃から部屋が汚いと怒られ続けた私がようやくミニマリストを目指そうと心から思えたのは、「ぼくたちに、もうモノは必要ない。ー断捨離からミニマリストへ-」を読んでからだ。
今までにも何度かズボラなりに断捨離の本を読んで、実行してみたりもした。
でも心から腑に落ちているわけではないので、一時的に綺麗に【隠した】後は、いつも通り堕落した生活を送り、あっという間に汚部屋に戻っていた。
●目次●
重いお尻を動かすには、自分が腹の底から納得することが第一歩である
「ぼくたちに、もうモノは必要ない。ー断捨離からミニマリストへ」は、ズボラで汚部屋を10年以上続けてきた私を変えようとしている(現在進行中)。
断捨離本にはよく、「必要なものだけ」とか「大好きなものに囲まれて」と言う理論が唱えられている。
分かるのはわかるのだが、ずぼらな私はこのフレーズでは動けなかった。
私の重ーい尻を押してくれたのは、やらしい話かとしれないがお金だ。
一人暮らしの人でも誰でも同居人がいる。同居人の名前は「モノさん」。「モノさん」が座ったり寝るのに使うスペースはハンパなく、人の比じゃない。(中略)
広い家に住みたいのは自分が暮らすためじゃなくモノさんが有意義に暮らすためなのだ。(要約)(「ぼくたちに、もうモノは必要ない。ー断捨離からミニマリストへー」より)
勿体無さを数字化するために、自分の家賃から、「モノさん」の家賃を計算してみた
もともと「ぼくたちに、もうモノは必要ない。”-断捨離からミニマリストへ–」では、
「人が立っていたら0.5畳、寝ていたら1畳しか必要ない」
と書かれている。
汚部屋の勿体無さを痛感するために、更に無駄な時間を計算してみた
そうなった場合、1週間あたり10分、43ヶ月で1899分使っていることになる。1899分とはすなわち31時間。1日以上ただただモノを探すために使っている。
時間もお金も浪費して、楽だからってそれでいいわけがない。
そもそも本当に楽かと言われれば、モノを探す時はだいたいイライラするし、ストレスが溜まる。
結論:汚部屋で暮らすことでいいことなんて何もない
このことが腑に落ちたので、ズボラで高校時代、部屋が汚すぎて罰としてお小遣いを何ヶ月も止められても改善できなかった私が、ようやく本気で頑張ろうと思えた。
胸を張って言える。私ほどのズボラで出来たのだから、片付け逃げて来た人にもきっとできるはずだ。勇気づけるために、私のひどい部屋の写真を載せておこう(いらない)
恥ずかしくてモザイクかけすぎてしまった。
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