売れに売れている鬼滅の刃の主題歌「紅蓮華」。まさに老若男女問わず人気だ。
曲自体は聞いたことあったが、ちゃんと聞いた時に震えた。あまりにもいい歌詞なのである。
この曲を学生の頃に聞いても分からなかったかもしれない。社内いじめ、度重なる転職、両親の不仲、友人との別れ、大好きな恋人との別れ、色々経験した今だからこそ、この歌詞が身にしみた。
●目次●
紅蓮華の歌詞から学ぶ、人生とは
全てのことに意味がある。そんなメッセージ性を持つ曲は他にも何曲も知っている、ただ、それがこの「紅蓮華」はよりダイレクトでわかりやすい。
紅蓮華の歌詞には、こんな歌詞がある。
誰かのために強くなれるなら ありがとう悲しみよ
私が一番しみたのはこのたった言ってしまえば1行だ。でも、今まで自分が受けてきた悲しみに対して「ありがとう」の感情が出てきた時、本当に人はその悲しみを乗り越えたと言えるんじゃないだろうか。と私は思う。
だから、今誹謗中傷やら自殺やら色々な話があるが、いつかその堪え難い悲しみすら感謝を覚えられるような明るい未来が絶対来るから、誰しもが悲しみを乗り越えて欲しいと強く思う。
私が「ありがとう悲しみよ」と思えたこと
人から見れば「たかだか失恋で」と思われるだろう。でも私は今までに経験した一番の悲しみはやっぱり、学生時代に大好きだった彼氏と別れたことだ。
それこそありとあらゆるタラレバを考えたり、勝手に神様に交換条件?を願ってみたり、ありとあらゆる後悔や願いをしてきた。神頼みも何度したか分からない。
この人と別れたことで私は一生一人だとか、誰も愛せないとか、死んでしまいたいなんてことも思ったものだ。そしてその失恋が癒えるには、約8年ほどかかった。
でも、この曲の歌詞を知った時、私はその自分自身の「一番しんどかった失恋」に感謝することが、心の底からできたのである。そんな日は一生かけても来ないとおもってた。本当に正直な話。
あの失恋がなかったら今の私はいない
今を生きることになにも見いだせず、ただ遊んで寂しさを紛らわせていた時期もあった。今の自分に満足なんて学生以来してなかった。
でも、ふと「あの失恋がなかったら、今の人生がないんだ」っておもったら、怖くなった。
あんなに、あの人さえ手に入れられれば他になにもいらないとおもっていたのに。
本当に個人的な話で申し訳ないが、例えとして聞いて欲しい。
あの失恋がないということは、ずっとうまくいくということだから、そうなると私は九州の方に付いていってただろう。
社内いじめにも合わなかったかもしれない。となると、会社を辞めようとすら思わなかったかもしれない。
疑問も持たず会社員生活だけしてたかもしれない。英会話講師という道を知らないままだったかもしれない。
広告業に行って文章を書くことの楽しさを見いだせなかったかもしれない。ライターの副業という仕事に魅了されることもなかったかもしれない。
今や手放せないこのブログだって出会わなかったかもしれないし、やるモチベーションがなかったかもしれない。
何より社会人になってからであった大切な仲間たちと出会えなかったかもしれない。
ノマドライフを目指して勉強なんてしてなかっただろう。多分子供をいつの間にか産んで、よくある「いい人生」を歩んでいたかもしれない。他に仲良い子ができたかもしれない。
それでも、私は今の生活にたどり着けないのは嫌だと思えたのだ。ここまで来るには辛かったし、30までに結婚できなかったら死んじゃいたいとすら思うほど結婚がしたかった時期もあったのに。笑
つまり、生きていれば考えは変わる。周りの状況を変えていける。勝手に世界も変わる。つるむ人も変わる。
だから、今の世界に絶望して人生を諦めるってことだけはして欲しくない。
人生は変えられる、例えお金がなくても、人脈がなくても、別れを告げられても、生きてさえいれば
私の場合は失恋とちっぽけなことに聞こえてしまうかもしれないが、あなたの何か悲しみが、新たな幸せに最終的には連れて行ってくれることは大いにあり得るのだ。
たとえ誰かに先立たれても、いじめられても、失恋しても、誰かと絶縁しても、だ。生きている限り、何度だってどうにだってなるはずなのだ。
この紅蓮華の曲の「ありがとう悲しみよ」が分かる自分の未来の姿を描きながら、辛い現実から死ぬ選択肢を選ぶくらいなら逃げてしまって構わないから、とにかく幸せになること、満足できることを信じてみてほしい。
最近悲しいニュースが続いたので、有名な曲で、自分の明るい未来を描きやすいこの曲を題材に訴えてみました。
本当に、嘘のようで本当に響くから。